実は、私が産後クライシスを知ったのは、自分が出産した後のことでした。
結婚生活や出産は、あまり身近でなかったのです。
親族や友人が一人もいない土地で出産した私の4年間の産後クライシスを赤裸々に書きます。
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4年の産後クライシスを乗り越えて
今年、40歳の誕生日を迎えました。
誕生日は幼稚園に息子たちの迎えに行き、出張に行っていた夫の帰りを待っていました。
夫はこの日に間に合うようにと仕事の合間に走り回ってプレゼントを手配してくれて、
快適に安全にアクティブに子ども達と外出できる姿を想ってのセレクトに、
物欲がない私をわかっているなぁと思いました。
4歳と2歳の子どもの子育て中だけれど、週末は夫婦2人で食事に行きました。
今でこそ、夫婦関係は良好。
でも、誕生日の1ヵ月前まで私たちは顔を合わせれば常に口論をしていた関係でした。
私の産後クライシスの始まり
産後クライシスは、赤ちゃんが生まれてから2~3年
あるいは4~5年続くと言われます。
私と夫の夫婦関係は、
8年の結婚生活のうち7年9カ月、歪んでいました。
第一子出産後に泥沼化し、
いわゆる産後クライシスの期間が4年間ありました。
産後クライシスが始まったのは、第一子の産後3ヵ月。
我慢が積もり、「何もかも投げ出してしまいたい」限界に達したのが、
息子の9ヵ月バースデーの前日でした。
その時のイタリアはロックダウン中。
住んでいる州の外に出ることができませんでした。
規制が緩和して州外に出られるようになる数日前に爆発。
出られるようになったらミラノに向かおうと思って
夫と0歳の息子を残して、家出したんだよね。
色々あったけれど、「一度白紙に戻してやり直そう」という結論になり、
子どもが満1歳を迎えた頃に、表面上では一旦落ち着きました。
第二子の出産後に泥沼化したクライシス
でも、根本的には何も解決していなかったのです。
歪んだ夫婦関係に目を背けたまま、長男が1歳11ヵ月のときに第二子を出産。
次男を出産して間もなく、私は豹変しました。
夫への怒りの感情や暴言が、毎日爆発するようになったんだよね。
穏やかだった夫も、人が変わっちゃったにゃん。
私たち間には、もう相手への思いやりや甘い時間は存在しなくて
夫は、世界で一番怒りを感じる存在になってしまいました。
内側は怒りや憎しみでいっぱい。
しかし私は、抑圧しなければならない状況にありました。
第二子の産後5ヵ月でフルタイムの仕事に復帰しました。
そのタイミングで、義父の病が発覚したのです。
過労で顔が別人になった第2子出産後
義父は余命数か月で、夫はできるだけ義家族と時間を過ごし寄り添う必要がありました。
抗がん剤治療をしていたので、保育園通いで頻繁にウィルスを持ち帰る子ども達を
義実家に連れて行くわけにいきませんでした。
夫が週末に遠方にある義実家に泊りに行って不在だったのが、続きました。
夫は平日も半分出張で家をあけていて
夫婦で顔を合わせるのは、週2~3回、平日の夜に2時間だけ。
そんなわずかな時間でさえ、私たちはお互いが思いやれませんでした。
夫の家族の状況を考えると、第一子産後の時のように全て投げ出そうとすることはできず、
内側に沸く夫への怒りを出さないように必死で抑えていました。
頼れる人がいない海外で、0歳児と2歳児のワンオペ育児とフルタイムの仕事。
体力的にもハードで体を壊してしまいました。
第2子出産後の1年で急激に顔が老け込み、顔がすっかり別人になりました。
その翌年に日本に帰って、両親が空港まで迎えに来てくれたんです。
両親の姿を見つけて母と話し始めたんだけれど、私の顔が変わりすぎたので
父は私のことが認識できなくて。
「お母さんの知り合い?」って母に聞いてました(笑)
里帰りで夫と2ヵ月の別居
残念ながら義父は他界してしまいました。
夫と一緒に暮らすことが限界で物理的に距離を置く必要があると感じていたこともあり
次男が1歳11ヵ月の時に、子ども達を連れて日本に2ヵ月間帰国。
2ヵ月後に、子ども達とイタリアの夫の元に戻りました。
それから、私と子ども達の生活拠点を日本に移すことを話し合いました。
私が夫婦関係を修復できた理由
あの時は、夫もイタリアも、もう何もかも嫌だった。
でもその翌年に、産後クライシスを抜け出すことができたんだよね。
産後クライシスを抜け出せたのは、次男の産後2年5ヵ月の時でした。
長男を出産後に産後クライシスが始まってから、4年2ヵ月の月日が経っていました。
私と夫の夫婦関係は、子どもが生まれる前から歪んでいました。
第一子出産後に溝が深まって、第二子出産後に崩壊して。
関係を修復したと言うより、溝が深まる前よりも幸せな関係を構築できたと言う方が相応しいです。
私を救ってくれたのは、自己対話を重ねたことでした。
夫婦関係も、コンプレックスの解消も、自分の人生を軽やかにすることも
自己対話が要です。
その方法は、また記事にしますね。
20代は東京1人暮らしを謳歌していて、周りの友達も独身だったし。
ギリギリ20代でヨーロッパに住み始めてからも、周囲の友達は独身。
ミラノで仕事中心の生活をした後に、高齢出産しています。